雨風が吹き荒れる中、二人の前に現れた男の一喝に、直希とつぐみの瞳は恐怖で見開かれた。
「今すぐそこから出てきなさい!」
太く重い声が響く。恐怖で震えるつぐみは、直希の服をつかんで動けなくなっていた。
「だ……誰なの、おじさんは」
「いいから出てきなさい! 出てこないと、そっちに行って引きずり出すぞ!」
「ひいいいっ!」
つぐみが悲鳴をあげる。怯えるつぐみを見て、直希は自分が守らないと、そう思った。
しかし、相手は誰とも分からない大人の男。直希も怖かった。「出てきなさいと言ってるんだ! 聞こえないのか!」
「は……はい、出ます……」
震える足で何とか立ち上がった直希は、つぐみの手を取って立たせると、恐る恐る男の前へと進んでいった。
「この……大馬鹿もんがっ!」
海の家から出た二人を、男が大声で怒鳴りつけた。
その一喝は凄まじく、直希とつぐみはその場で膝から崩れ落ちた。「今何時か分かってるのか! こんな夜に、こんな雨の中で……お父さんとお母さんが、どれだけ心配してると思ってるんだ!」
「うええええええええんっ!」
雨が降りしきる中、恐怖の余りつぐみが声を上げて泣き出した。生暖かい、雨ではない物が太腿を濡らす。
「つ……」
つぐみをかばおうと、直希が男の前に立ちはだかろうとした。しかし立てなかった。
直希は腰が抜けていた。 それでも直希はつぐみを守ろうと、男を見据えて声を上げた。「つぐみちゃんをいじめないで! つぐみちゃんを泣かさないで!」
「馬鹿もんっ!」
再び男が怒鳴りつけた。その声に、つぐみが更に声を上げて泣いた。
直希は震える膝を手で押さえ、男の前に立ちはだかり、両手を広げて再び叫んだ。「つぐみちゃんをいじめ
雨風が吹き荒れる中、二人の前に現れた男の一喝に、直希とつぐみの瞳は恐怖で見開かれた。「今すぐそこから出てきなさい!」 太く重い声が響く。恐怖で震えるつぐみは、直希の服をつかんで動けなくなっていた。「だ……誰なの、おじさんは」「いいから出てきなさい! 出てこないと、そっちに行って引きずり出すぞ!」「ひいいいっ!」 つぐみが悲鳴をあげる。怯えるつぐみを見て、直希は自分が守らないと、そう思った。 しかし、相手は誰とも分からない大人の男。直希も怖かった。「出てきなさいと言ってるんだ! 聞こえないのか!」「は……はい、出ます……」 震える足で何とか立ち上がった直希は、つぐみの手を取って立たせると、恐る恐る男の前へと進んでいった。「この……大馬鹿もんがっ!」 海の家から出た二人を、男が大声で怒鳴りつけた。 その一喝は凄まじく、直希とつぐみはその場で膝から崩れ落ちた。「今何時か分かってるのか! こんな夜に、こんな雨の中で……お父さんとお母さんが、どれだけ心配してると思ってるんだ!」「うええええええええんっ!」 雨が降りしきる中、恐怖の余りつぐみが声を上げて泣き出した。生暖かい、雨ではない物が太腿を濡らす。「つ……」 つぐみをかばおうと、直希が男の前に立ちはだかろうとした。しかし立てなかった。 直希は腰が抜けていた。 それでも直希はつぐみを守ろうと、男を見据えて声を上げた。「つぐみちゃんをいじめないで! つぐみちゃんを泣かさないで!」「馬鹿もんっ!」 再び男が怒鳴りつけた。その声に、つぐみが更に声を上げて泣いた。 直希は震える膝を手で押さえ、男の前に立ちはだかり、両手を広げて再び叫んだ。「つぐみちゃんをいじめ
終点の駅に着いた直希とつぐみは、駅から出ると近くのコンビニでパンとジュースを買った。 少し歩くと、海が見えてきた。 直希たちは、かなり遠くの街にまで来た気になっていた。しかし実は、直希たちの住む街から二駅ほどの所で、今見えている海も、言ってみれば直希たちがいつも見ている海なのだった。 堤防の石段に腰掛け、一緒にパンを食べて笑い合う。「おいしいね」「私のもおいしいわよ。食べてみる?」「いいの?」「代わりにナオちゃんのも、少し頂戴ね。はい、あーん」「あーん」「どう? おいしいでしょ」「うん、甘くておいしい。じゃあお返し。あーん」「あーん」 * * * 食べ終わった二人は、陽の落ちた海岸で手をつなぎ、静かな海を見つめていた。「つぐみちゃん、これからどうするの」「そうね。まずはお家を見つけるのよ。それから二人で、どこかで働くの」「お家って、どうやって見つけるの?」「分からないけど……でも大丈夫よ。私たちは結婚するんだから、そう言えば、誰かがくれるはずよ」「そうなんだ。つぐみちゃん、やっぱりすごいね」「お仕事だって見つかるから、心配ないわよ。でも朝になってからね。今日はもう遅いから、大人もそろそろ寝る時間だし」「じゃあ、僕らはどこで寝るの?」「それは……あそこでいいんじゃないかしら」 そう言ってつぐみが指を差した場所。それは海の家だった。「でも、誰もいないよ」「あそこは夏にしか開いてないのよ。だから誰もいない。隠れるのにちょうどいいでしょ?」「隠れるって、誰から?」「お父さんたちが探しに来るかもしれないから。私たちの結婚に反対してるんだから、当然でしょ」「そう……だね、そうだよね……あっ」
しばらくして、東海林とつぐみは直希の家へと向かった。「あの……ナオちゃん……」 直希の部屋に、つぐみが恐る恐る入っていく。 部屋では直希が、先ほどのつぐみの様に膝を抱え、顔を埋めていた。 時折小さく肩が動く。どうやら家に帰ってからも、ずっと泣いていたようだった。「ナオちゃん、その……さっきはごめんね」「……」「私ね、ナオちゃんがその……悪口を言ったって思ったの。べっぴんさんってどういうことか、分からなくて……それでね」「……もういい」「え……」「もういい! つぐみちゃんなんか嫌いだ! べっぴんさんって言ったら、つぐみちゃんが喜ぶって母さんが言ってたのに……つぐみちゃんも母さんも嫌いだ!」「ナオちゃん……」「つぐみちゃんのこと、大好きだったのに……喜ぶって思ったのに……」「ごめんなさい。お願い、許して」 つぐみがそう言って、直希を抱きしめた。「ごめんなさいナオちゃん、許してください。お父さんから、べっぴんさんがその……綺麗だって教えてもらって……私、嬉しかった。そしてね、ナオちゃんにひどいことしたって思ったの」「……」「だからお願いします。ナオちゃん、許してください。私とこれからも、仲良くしてください」「……もう、怒ったりしない?」「しません。だってナオちゃん、私のことを綺麗って誉めてくれたんでしょ?」「うん……」「私のこと、かわいいって思って
「べっぴんさん?」「そう、べっぴんさん。かわいい女の子のことを、そう言うのよ」「かわいい女の子……つぐみちゃんみたいな子?」「ふふっ、そうね。つぐみちゃんはかわいいもんね」「うん。つぐみちゃんよりかわいい女の子、いないと思うよ」「あらあら、ふふっ……直希は本当、つぐみちゃんのことが大好きね」「うん、大好き。ねえ母さん、つぐみちゃんにべっぴんさんって言ったら、喜んでくれるかな」「そうね。つぐみちゃんもきっと、喜んでくれると思うよ」「じゃあ今度、つぐみちゃんに言ってあげる」「直希は本当、優しいね」 * * * 次の日。 保育園でつぐみの姿を見つけると、直希は一目散に駆け寄った。「つぐみちゃんつぐみちゃん。あのねあのね」「おはようナオちゃん。どうしたの?」「僕ね、つぐみちゃんに言いたいことがあるんだ」「私に? 何かな何かな。いいこと?」「うん。つぐみちゃんが喜ぶこと」「えー、早く言ってよナオちゃん」「うん。じゃあ言うから、ちゃんと聞いてね」「うん」 直希はつぐみの手を握り、顔をみつめた。「え……ナオちゃん、どうしたの? なんか恥ずかしいよ」「つぐみちゃん」「は……はい……」「つぐみちゃんは……べっぴんさんだね!」 満面の笑みを浮かべ、直希がそう言った。「……」 しかし、べっぴんさんと呼ばれたつぐみは、直希の予想に反し、驚いた表情で固まった。 そしてうなだれるようにうつむくと、小さな肩を震わせた。「馬鹿っ!」 言葉と同時に、直希の頬を張った。
「つ、疲れたわ……」「つぐみさん、大丈夫ですか」「ええ……菜乃花もお疲れ」「いえ、私は別に……でもその、今の山下さん……」「ええ、かなり記憶が混乱してたみたいね」「そんな……山下さんが認知症……」「明日お父さんに伝えておくわ。この前みたいに、一時のことだといいんだけど」「……」「菜乃花?」「あ、いえ……すいません。私、何も出来なくて」「何言ってるの。こんな現場に遭遇したの、初めてでしょ? 誰だって戸惑うわよ」「でもその……直希さん、あんな自然に」「そうね……直希の演技には本当、驚かされるわ」「そう、ですよね……でも直希さん、山下さんの様子にも全然驚いてなかったみたいでしたよね」「そんなことないわよ。直希も心の中じゃ、パニックになってたと思うわ」「そうなんですか?」「だと思うわよ。いつも普通に接していた入居者さんが、急にあんな風になるんだから。でも、今日は菜乃花もいてくれてよかったわ。こんなこと言ったら山下さんに悪いけど、いい経験になったと思う」「あ、はい……でもこんなこと、本当にあるんですね」「現場ではよくあることよ。でもね、菜乃花。どんな時にも言えることなんだけど、とにかく私たちは、冷静に対応しなくちゃいけないの。直希だってきっと、怖かったと思う。辛かったと思う。でもそれを見せずに、これまで培ってきた経験と、山下さんの情報を頭の中に総動員させて、ああして祐太郎さんを演じきったの」「はい……すごいと思いました」「どれだけ入居者さんの情報を持っているか。こういう時
「そう言えばあおい、今頃どうしてるかしら」「明日香さんと宴会中、なんじゃないかな」「温泉旅行、ですもんね」「しかしびっくりしたよな。明日香さん、温泉旅館のタダ券持って、この前のお詫びにどうですかって」「直希と行く気だったけどね」「つぐみはそう言うけど、それはないと思うぞ。だって俺には、ここの仕事があるんだから」「明日香さんだって、そんなことぐらい分かってるわよ。その上で誘ってきたのよ」「スーパーで、タダ券二枚もらったんだよな」「でも、直希さんに断られて」「あんな分かりやすいがっかり顔、中々見れないわよね」「それでみぞれちゃんとしずくちゃんが、あおいさんを誘って」「この前一緒に遊んでから、随分仲良くなったからね」「おかげで今日は、随分静かだったわ」「特に、その……食堂が……」「だね。一番元気に食べる子がいなかったんだから。入居者さんたちも、気のせいかちょっと寂しそうだったし」「気のせいなんかじゃないわよ。生田さんなんて、私に何回も聞いてきたんだから。あおいはいつ帰ってくるんだって」「生田さん……随分と変わりましたよね」「そうね。あおいのおかげかしら、ふふっ」 そう言って三人、顔を見合わせ笑った。 その時だった。「祐太郎さん!」 食堂に響き渡った声。 聞きなれない名前。 三人が声の方を見ると、そこには貴婦人、山下が立っていた。「え……山下さん?」「直希、祐太郎さんって言ったら、まさか」「ああ……亡くなった旦那さんだな」 直希が二人に目配せすると立ち上がり、山下に微笑んだ。「どう……したのかな、恵美子さん」「どうしたじゃありません